多くの受験生が思っているだろう、頭記の件について、話そう。
「人はなぜ、偏差値の高いところに行きたがるのか?」
単刀直入に言いますと、
偏差値の高い学校には、偏差値の高い(つまり頭の良い生徒)学生がより多くいる
からである。
知識や知恵を学ぶとき、人は何から学ぶのか?
現在ではインタネットで世界とつながり、書籍やマスメディアから得られる情報量は
大きく増えつつある。
しかし単純な知識だけなら、これらから学べるのであるが、
最終的に、人が学ぶのはまた人からなのである。
人間は社会的動物だから、生活の上で人と接する機会は非常に多いものだ。
ネットや本からは知識は学べても、「経験」は学べない。
だから人間は人とのコミュニケーションの中で、知識と経験を学んでいく。
偏差値は何もはったりや思い込みではない。その学校には
要は、レベルの高い人間が多いのだ!
レベルの高い人間と席を並べ、議論し、その人から知識と経験を盗んでいるのだ。
盗むといってもモノではないから、犯罪ではない。
そして自分も誰かに知識と経験を分け与えることとなる。
つまり相互に切磋琢磨することで、より高いレベルになっていく。
要は優秀な人間の多い環境に身を置くことで、全体のレベルも上がっていくわけだ。
だからそういう人間が多くいる場所(学校や会社など)は自身の教養を高める方向に
作用する。
アホやバカな人間が多い社会に身を置くと、自分のレベルが高くなったと勘違いし、
天狗になって、さらなる学びをしなくなる。
自己満足や優越感を感じられるからである。
自分よりもレベルが高い集団の中にいれば、自然とレベルは高くなっていく。
だから単に学歴(偏重)主義であるとか、言うのではなく、共に学びあえる環境
(仲間)が、そこに存在するからなのだ。
これを一言で言えば、「人は人から学ぶ」ってこと。
自分を高めたいならちょっと無理をしてでもレベルの高い学校に行ったほうが良いと
私は考える。
無論あえて自分よりレベルの低い場所に身を置くことが、成長する場合も存在する。①
そこに身を置いて、誰かを指導することで、今の自分よりも高みに登れる、
ということもある。それはどちらが良いかではなく、その人に合っているかどうか?
によって決まるのだ。
不肖わたくしの例を挙げると、
公立中学で成績は40番(160人中)で、高校は公立の(徳島県にはいわゆる進学校
のような高校はほとんどなく)住所地から一番近い鳴門高校を目指した。
当時は普通科と理数科があって、無論理数科志望だった。
この時のわたしは、理数科が進学科であるとは知らず、理科と数学がたくさん勉強
できる場所だと思っていた(あらまっ、勘違い!)。
理数科の定員は40名で、中学の担任教師からは理数科は無理だから普通科にせよと
何度となく言われ続け、それでも理科と数学がやりたかったから、意思を曲げず、
理数科を受験した。(上記の①の状態です)
奇跡的に定員40名の内の39番でギリギリ合格した。(これは後に担任から教えて
もらったこと)
そして3年生の2学期には理数科内で1番になれた。
まあ単純にうれしかったが、それほどの実感はなかった。
公偏差値が高々55のクラスであったからだ。
結局現役時は、どの大学にも見放され、1浪することになった。
このあたりの顛末は別稿に書いたので、また読んでみてください。
ではまた一緒に頑張りましょう。
以上のまとめ:
某AI要約ソフトを使って、上の文章を要約してみました。
あなたが読み取った内容からの要約と比較してみてください。
実際、要約力は国語のみならず、すべての科目に通用する「力」となります。
国語力は要約力とも言えるのです。
(無論。数学は「計算力」であることは、言うまでもありません!)
では
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Let’s 要約 ですよ~~。