和田は元SEで大学は物理専攻だったので、一般人に比べたら電気関係の知識は
多い方だった。
小学生のころから趣味で電子工作をやっていて、半田付けとか配線なども得意分野。
電磁スイッチを使って玄関ドアが開くとアラームが鳴るような物とか、当時は流行っていたラジオの組み立てとか、電子ブロックなどなど・・・
化学に興味を示す前は、電子に凝っていた。
特に半田付けの技術はその後もずっと役に立っていた。
35歳の時SEを辞めて、電気主任技術者免許も取得した、
それを持って本来なら「電気」の世界で生きて行くはずだったのに、
何を間違ったのか「電器」の道に進んでしまった。
当時店舗数500を超える家電量販店:ベスト電器に就職。
まあ電気の知識は活かせたものの、場違いであったことも事実。
約10年間電器店の店員(営業)をやった。営業職はそれまで経験したことがなかったので、新鮮でもあり消費者(お客様)の気持ちも理解できて、人生にとっては、
大変有意義な時間だったなぁ~~。
しかし家電業界も熾烈な争いで、おとなしめの政策を取っていたベスト電器は、ついに
敗退することに・・・。
今考えるとSEで10年、電器屋で10年、なにか10年が区切りのようにも思えてきた。
父親の介護でベスト電器は辞めることになった。
私が勤めていたベスト電器はマルナカスーパーのフランチャイズだった。
ベスト電器がなくなってもマルナカの社員だったので、部長からスーパーの方で
やってみるかとの打診があったが、全く違う業種で電気の知識も活かせない職場だったので、あっさり辞めた。
その後は、職安に通いながら新職を探したが、納得できる会社はなく、
6か月の契約社員として就業。ここでは、かなり色々な業種・業態を経験させてもらったものだ。
例えば、道路の調査、携帯電波(当時はまだ2G)の電波状況測定、森林の調査、などを経験した。
役得あり、勤務の自由度ありの、面白い職場だった。
この頃も勤務時間のすき間を縫って、家庭教師は続けていた。
そして今は天職と思えるほどの情熱を持って日本1の家庭教師を目指した。
実際それは和田にとっては簡単で、私の指導を最後まで受けた生徒(途中で辞めた生徒のことは知りません!)は、100%高校大学に合格した。
つまりどんな有名な塾や大手予備校の教師でも100%はあり得ない、だから
日本1なのだ。だって100%を超えることはないからね!(笑)
そんなこんなで、それからずっと家庭教師1本でやってきた。
それは生徒との楽しい時間であり、自分の指導力もスキルアップできたので、
とても有効だった。
自分自身が勉強をやっている限り、神職である。
今現在も自分のスキルアップには1日の3~4時間は使っている。
歳を取っても脳を使えばできる職業なのだ!
さて、前置きはこの辺迄(前置きだったのかよ?)。
前々稿でも書いたが、電気の知識があると、家電製品とか直せちゃいます。
これは経済的にもかなり助かるスキルなんです。
簡単に電池(充電池)交換できない電気製品とか、すでにメーカーのサポートがなくなった製品など、ちょちょいのちょいで直して使っています。
年間にすると何万円も節約って訳には行きませんが、まあ小遣い程度は補填できています。
知識は力ですね。