katekyou-nowの日記

数学は計算力であ~る!

益川敏英教授の思いで・・・

大学3年生の専門課程:後期集中講義、
わたしは、「宇宙論」を取った。

講師は、当時東大教授:益川敏英先生

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この笑顔、素敵でしょう。
当時の先生も、ニコニコしながら授業を進めて行きます。
宇宙論は自分が好きなテーマだったから、無論興味津々で聞いた。

無論成績はA(優) でした。
4日間、1回90分の講義でした。
たった6時間だけの時間でしたけど、とても満足感の大きい授業でありました。

当時、僕は教授が英語が出来ないことを知らなかった。
2008年教授がノーベル賞を受賞した時、
私は嬉しかった。
ああっ、自分はこんな凄い先生の授業を受けられたのだ! と・・・


そのとき初めて知った。
先生は英語が苦手で、受賞した論文も英訳したのは、同期・後輩・先輩方だったこと。
エピソードも素敵だった。
先生が大学院に進学するとき、
物理・数学はほぼ満点であったにもかかわらず、
英語は殆んど0点であったこと。

当時私も、英語は超苦手で、かろうじて成績C(可)で単位取得した。
そのとき何故か、「俺と同じ、じゃん!!」と共感できた。

でも先生の周りの人々(共同研究者)への人当たりが良かったから、
周りの人が協力してくれて、切磋琢磨してくれて、時には激論を戦わせ、
同意も批判もしてくれる・・・。

これらがさらに先生を刺激し、良い論文に育て上げて行った。
だからそれが評価されて、ノーベル賞という世界最高レベルの賞を獲得できたのだと。


私は、こんな凄い先生に習ったんだという、感激、
あのやわらかい笑顔、、、
すべて先生の人間性だったんだな、という実感・・・。


私の宝物は、当時いただいた成績表
宇宙論:A 益川印が押されています。
今も大切にして、息子に見せて自慢しています・・・(笑)

浪人して地方国立大に進学し、大学院が出来るという予定を聞いて、
わざと2年も留年し、結果大学院は出来なくて、意気消沈したあの日。

研究者になれなかった大学6年生、
当時、コンピュータが世界を変える! との認識で、
ソフトハウスに就職した。

10年間システムエンジニア(SE)として研鑽を積み、
退職後、元々好きだった電気業界に就職するため、電気主任技術者試験に挑戦。
1年目は法規を落として不合格、半年後ほぼ満点で合格!

そして、何を間違ったのか、電器量販店に就職するのだった・・・・・・。
(この辺の事情は、また別記事で!)



でも高校時代からずっと続けていた職業があった。
それが今の「家庭教師」だった。

最終的に私は、『家庭教師』という天職を得た。
これ以上の職業はない。
だって、未来の人間を創る職業だもの。
これ以上のものはないと真剣に信じている。
それが今の私、こんな素敵な職業はない。

だから、毎日が楽しい!
生徒が新しい知を身に付けると、自分のように嬉しい!
その成長が何よりも楽しくて、嬉しいのだ!


これも根源は益川先生のおかげだ。
あの先生の笑顔を思い出す。
宇宙論の中での論理式の1つ1つを思い出す。
英語嫌いの共感も、楽しい想い出。



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先生、アルバート・アインシュタインの真似をするなら
もっと、長く地に着くくらい舌を伸ばさなきゃ
鼻の下を伸ばさなきゃ・・・(笑)



先生の書いた本:
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凄く良い本です。
読んでください。

たったひとつの得意があったなら、他は何も要らない。
その好きな道に精進せよ!
その好きな道を究めよ!

自分がやりたいことだけに直進せよ!

それが未来を生む。
それが貴方を幸せにする。
それが世界を進歩させる。

さあ、好きなことを誰よりも勉強し、好きになろう。

好きの力は最強なんだよ。
自分が好きなことを好きにやっていけ!